今回は物語について考えようと思う。
「モノカタリ」は私が演出を考える上で、とても重視していることなのです。
別の言い方をすると、「ストーリー」ということにもなります。
ストーリーのない演出は、「中身のない冷蔵庫」のようなもの。何もないのに、ただ、冷えている箱。
いろんな意味で寂しい上に、悲しい。。。それでは、到底、演出とは呼べないわけである。
もちろん、ストーリーを耕していくための箱もとても大事であるが、中身がなくては、ただの箱になってしまう。
・・・・話は少し変わるが、昔、少しバイトした「しゃぶしゃぶ屋」の先輩の言葉が今でも、
自分がものを考えるときのルーツになっている。
しゃぶしゃぶ屋はピークの時間帯、いろんなテーブルから肉のオーダーが飛んできて、それを店員がオーダーのあった順番に、スライスしていく。これを訳もなく、スライスしていくのが、ベテランという領域の人たちである。
まさにプロフェッショナル。すごい数のオーダーをきっちり漏れなく捌いていく。
一度、先輩に尋ねた。「どうして、そこまで覚えて切れるのか」先輩は言った。
「はべ君はゲシュタルトって分かるかな?」「ゲシュタルトですか??なんでしょう?流行りのお菓子か何かでしょうか?」「違うね。そうじゃないね。あれだよ。心理学というか・・・」「はあ・・・」
説明すると、ゲシュタルト心理学とは、
部分からは導くことのできない、一つのまとまった、有機的・具体的な全体性のある構造をもったもの
ということらしい。
その時の先輩の話はこうだ。
「星座には、一つ一つ物語があるよね。ただ星の一つ一つを見てしまうと、決して、物語にはならない。星が集まって星座になり、そこに物語がある。それと一緒。」
「一緒とは???」
「一つ一つのテーブルを追いかけてしまうと、覚えられないから、テーブルの全体を想像して、そこにお肉を置いていくんだよ。そうすると、頭に絵が出来て、肉を順番に切っていけるんだよ」
一言一句がこういったのかは、定かではないが、15年も前に聞いた、その話は、今でも私のルーツになっている。
最初の冷蔵庫の話で言うと、中身のない箱もただの箱だが、中身だけあっても、その中身は冷やすことが出来ず、腐ってしまう。箱があって、中身があって、初めて意味がある。
これが、私が物語を重視する原点なのです。
と言ったところで、時間が来てしまったみたいだ。
今日はここまで。